原水爆禁止2010年世界大会に参加して

 事務局:柴田早織

8月4日〜6日、広島で開催された原水爆禁止2010年世界大会に参加しました。私は、広島へ行くのは今回が初めてでした。また、原水爆禁止世界大会への参加も初めてでした。

 今回の原水爆禁止世界大会は、5月に開催された核不拡散条約(NPT)再検討会議の成果を受け、核兵器廃絶の気運が高まっているなか、開催されました。原爆投下については、知っているつもりでしたが、広島に行って見たり聞いたりする中で学ぶことが多くありました。

 1日目の開会総会は7400名が集まりました。主催者報告では、5月に開催された核不拡散条約(NPT)再検討会議の報告がありました。その後、被爆者あいさつ、秋葉忠利広島市長あいさつ、政府代表あいさつ、全国の草の根の報告などがありました。広島市長のあいさつでは、「こんな思いを他のどんな人にもさせないように」という言葉が印象に残りました。また、大勢の参加者や会場の雰囲気に圧倒されました。


 開会総会の後、静岡県の代表団の方と4人で原爆ドーム、原爆の子の像、平和記念公園、広島平和記念資料館へ行きました。初めての広島だったので、案内してもらい、説明を聞くことができてよかったです。

 広島平和記念資料館では、来館者に外国の方もたくさんいて、真剣に資料館の中を見てまわっていました。本館に展示されている遺品や被爆資料は本当にすさまじく、原爆の力の大きさ、苦しみ、悲しみ、怒りが込められ、このような悲劇が繰り返されないようにと語りかけているようでした。


 2日目は分科会が行われました。
私は「映像と学習のひろば」という分科会に参加しました。アニメーション映画「NAGASAKI 1945 アンゼラスの鐘」の監督・脚本の有原誠治さんが企画した分科会で、被爆者の平均年齢が76歳を超え、体験を語り継ぐことが極めて困難になっている今、映像のもつ力や果たしうる役割などを交流し、学び合う分科会でした。有原さんは、この映画を核兵器廃絶と平和への願いを、未来を担う世界中の子どもたちに国内・海外で一人でも多くの人々に広げたいと願って製作されたそうです。分科会には300人が集まりました。

 まず午前は、アメリカから来たキム・アレン先生が、アメリカで実際に行っている平和教育の模擬授業を行い、授業の間に「NAGASAKI 1945 アンゼラスの鐘」をみんなで見ました。この映画は、長崎の爆心地にほど近い浦上第一病院で、自らも被爆しながら医療活動を続けた医師、秋月辰一郎の苦闘を伝える長編アニメーション映画で、奇跡的に助かった秋月先生と病院の人々の助け合い、広がる不可解な病魔とたたかいながら、必死の救護活動を続ける様子が描かれています。

映画を見ての感想や先生の出した質問に対して周りの人と意見交換をするなど、日本の授業では体験できない授業でした。

 午後は「広島 母たちの祈り」「歩く」の2本のドキュメンタリー映画を見ました。
16mmフィルムの作品で、かなり映像が劣化していましたが、貴重な映像を見ることができました。まさに映像遺産といえる作品でした。
午前のアニメーションとは違い、ドキュメンタリーということで映像が生々しく、直視できないような映像も多々ありました。とてもショックな内容でした。

原爆の悲惨さ、放射線の酷さが見ることにより実感でき、涙がでました。
こんな境遇が二度と起きてはならないと改めて思いました。非人道的な核兵器が軍縮ではなく、完全廃絶になってほしいと願います。

 分科会が終わった後、ひとりで少し広島の街を歩きました。平和記念公園内にある死没者追悼祈念館では、被爆体験記朗読会が開催されていました。
被爆体験記のほか、原爆詩の朗読がありました。当時小学生だった子の詩には、短い詩の中にも深い悲しみを感じました。


 原爆の爆心地である現在の島外科内科の前には原爆碑が建っていました。
人類史上最初に使用された原子爆弾は、この上空約580mで炸裂したのだと書いてあり、思わず空を見上げました。
約3000〜4000度の熱線と爆風や放射線を受け、ほとんどの人々が瞬時にその生命を奪われた爆心直下のこの場所。資料館でみた光景が思い出され、気持ちが重くなりました。
65年たった今でも当時の様子が分かるように、原爆碑には写真も載せられていました。

 2日目夜は、女性のつどいに参加しました。「女性こそ草の根運動のリーダーだ」と主催者発言があったように、女性ががんばっている姿がとても力強く感じられました。

 被爆者証言では、免田裕子さんが「65年を経て、今思うこと」を語ってくれました。被爆者手帳を申請した時のこと、子どもを産んだ時のことなど、被爆者として生きてきた人生についてのお話はとても心が痛みました。
被爆者ということで差別され、被爆者手帳をとるということは娘たちを被爆2世にするとこになり、その時の胸を突かれるような心境がとてもよく伝わってきました。

 その他、世界各国の代表者の報告や広島ジュニアマリンバアンサンブルの子どもたちの演奏を聴き、感動しました。
参加者は1400人でとても盛り上がった交流会でした。


 3日目、朝8時から平和記念公園で「広島市原爆死没者慰霊式並びに平和祈念式」
が行われました。65年前の8月6日と同じくとてもよい天気でした。

 原爆が投下された8時15分。平和の鐘が鳴り響く中、黙とう。
この暑い暑い広島に65年前のこの時間、恐ろしい原爆が投下され、今私がいるこの場所で一瞬にしてたくさんの人々の命が犠牲になり、その苦しみが今も続いているのだと思うと胸がいっぱいになりました。

 平和への誓いは、こども代表が「悲しい過去を変えることはできません。しかし、過去を学び、強い願いをもって、一人一人が行動すれば、未来を平和に導くことができるはずです。この地球を笑顔でいっぱいにするために、ヒロシマの願いを、世界へ、未来へ、伝えていくことを誓います。」と力強く述べました。

 式典には、最多の74カ国が参列し、国際連合事務総長やアメリカの在日大使、フランス、イギリスの臨時代理など核保有国の政府代表が初めて参加しました。潘基文国連事務総長は、「被爆者が生きているうちに核兵器のない世界を実現できるように努めよう」と訴えました。

 菅直人首相は「唯一の戦争被爆国として核兵器の世界の実現にむけ先頭にたって行動する。核兵器廃絶と世界恒久平和の実現に向け平和憲法を順守し、非核三原則の堅持を誓う」と約束しました。
しかし、広島市内で開かれた記者会見では「核抑止力は必要だと思っている」と述べ、核の傘からの離脱を否定したことはとても残念に思います。

唯一の戦争被爆国として核兵器廃絶の先頭にたつという発言をしたその日に、核抑止力を肯定する発言をしたのはとても悲しいです。

 原水爆禁止世界大会閉会総会には8000人が集まりました。「核兵器のない世界へ」の世論と運動が高まっていることを実感しました。そして、たくさんの人がさまざまな場所で、核兵器をなくそうと行動していることに感動しました。

 「原子爆弾は人々が築きあげた歴史や文化をも壊し、広島の街を何もかも真っ黒にしてしまったのです」と発言がありました。

目に見えるものはもちろん、歴史や文化、そして家族の絆などの目に見えないものも多くを奪う核兵器とは決して共存することはできません。

 5月の核不拡散条約(NPT)再検討会議で、潘基文国連事務総長は「核兵器のない世界は見えている」と発言しましたが、核兵器廃絶はいまや世界の大きな流れとなっています。

今回の世界大会は、行動することで世界は変えられるのだということを信じることができる大会だったと思います。被爆者が生きているうちに核兵器のない世界を実現することを目標に、今後も運動していけたらと思います。

今回、世界大会に参加することで、改めて平和の大切さ、核兵器の悲惨さを痛感しました。これらは、実際に現地に行かないと感じることができないものだと思います。とてもよい経験になりました。



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